意見(opinion)&トリヴィア (trivia) |
意見(opinion)少年合唱やボーイ・ソプラノに限らず音楽等に関する私の意見を述べます。
1.「クラシック音楽の若い世代への継承」
(1)若者に受け入れられなくなってきたクラシック音楽
本ホームページは、音楽のジャンルにこだわらず、ボーイ・ソプラノや少年合唱を採り上げていますが、本来、この分野は、キリスト教の宗教曲にその源流を発しています。さて、宗教曲を含むクラシック音楽は、20世紀前半までは、人気ジャンルだったのに、最近では衰退の傾向が見られます。これも、少年合唱衰退の一因であると考えられます。これは、世界的な傾向なのでしょうか。それとも日本だけに限られた傾向でしょうか。また、日本においては、レコード・CDショップなども、かつては大都市にはクラシック専門店があったのに次第に姿を消し、現在では、大都市の大型店の一角にクラシックコーナーがあるというようになってきました。なぜ、クラシック音楽は、特に若者の間で次第に受け入れられなくなってきたのでしょうか。
1. 大衆文化の台頭と音楽ジャンルの多様化
20世紀半ば以降、ジャズ、ロックンロール、ポップ、ヒップホップなどの大衆音楽が急速に広まりました。これらのジャンルは、リズムや歌詞、ファッションを通じて若者のライフスタイルや反体制的精神と密接に結びつき、クラシック音楽よりも即時的・情動的な共感を得やすくなりました。
2. 教育の変化と音楽との距離
かつては、中産階級以上の家庭で、子どもにクラシック音楽教育(ピアノやヴァイオリンの習得)が重視されていましたが、特に20世紀末以後クラシック音楽との接点が減少しました。特に義務教育での音楽教育が簡略化・実用化(リコーダーや合唱中心)されたことで、クラシックの奥深さに触れる機会が減っています。
3. メディアと視覚文化の変化
テレビ、映画、YouTube、SNSなどの視覚メディアが主流になる中で、「視覚的に映える」音楽が人気を集めるようになりました。クラシック音楽は形式が厳格で、視覚的演出が控えめなため、現代のエンタメ文化との相性があまり良くない傾向にあります。
4. 都市文化からの分離と上流階級イメージの固定化
クラシック音楽は19世紀後半から「上流階級の教養」としての位置づけが強まりました。結果として、庶民や若者の間では「退屈で古くさい」「格式が高すぎて入りにくい」というイメージが定着し、距離感が広がったといえます。
5. 時間的コストと集中力の問題
クラシック音楽作品はしばしば数十分から一時間以上に及ぶ長さで、構成も複雑です。これに対し、現代の若者文化は「短く、直感的に楽しめるコンテンツ」に親しんでおり、SNSやストリーミング文化と対立的です。長時間集中して聴く習慣が育ちにくいことも、若者がクラシック音楽に親しみにくくなった理由の一つです。
6. 新たな「共感のコード」への移行
クラシック音楽はしばしば抽象的で、歌詞がなかったり、直接的な感情表現に乏しかったりします。一方、現代の若者は「自分の感情や社会的状況を代弁してくれる歌詞」や「リアルなストーリー性」に共感を求める傾向が強く、クラシック音楽の抽象性が逆に「何を感じればいいのかわからない」とされることもあります。
(2)日本独自の事情
日本におけるクラシック音楽の衰退(特に若者層からの距離感の拡大)については、欧米とは異なる日本固有の文化的・歴史的背景が影響しています。そこで、日本特有の要因と背景を詳述します。
日本におけるクラシック音楽の導入と全盛期
1. 明治以降の西洋化政策とクラシック音楽の輸入
明治時代以降、西洋文明の象徴としてクラシック音楽が教育制度に取り入れられました。軍楽隊、音楽学校(東京音楽学校=現在の東京藝術大学)などを通じ、クラシック音楽は「教養」「モダン」「国家的洗練」の象徴として受容されました。
2. 高度経済成長期~バブル期:中流文化としての定着
特に高度経済成長期の昭和の後期(1960~80年代にかけて)、「一億総中流」という言葉が示すように中産階級の増加とともに「ピアノを習う子ども」「クラシックレコードを持つ家庭」が一般化。NHKのFM放送や、現在は長寿番組になっている『題名のない音楽会』などのメディアがクラシック音楽の普及を支えました。クラシック音楽は知的で格式ある文化として、一定の憧れとともに広まりました。
(3)若者のクラシック離れの理由(日本固有の事情)
1. クラシック=「受験文化」の象徴
ピアノやバイオリンを幼少期に習うことは、中流以上の家庭では「学歴・教養形成」の一環とされる傾向がありました。しかし、これは多くの子どもや若者にとって「義務的」「抑圧的」な体験にもなりやすく、「自由に楽しむ音楽」という印象からはかけ離れるようになってきました。そのため、長続きせず、「クラシック=堅苦しい・親がやらせたもの」という負の記憶が残りやすかったと考えられます。
2. 学校教育における「形式主義的」な扱い
日本の学校教育では、歌唱指導において、階名唱から始まる「楽譜を読む訓練」「定型的な合唱・鑑賞」として扱われ、それだけで教科書に掲載された曲が嫌いになるだけでなく、創造性や即興性が求められにくい傾向がありました。ある歌曲(唱歌等)を指導する際に、教師が最初に範唱して聴かせるようなことは、ごくまれでした。子どもには歌わせても、教師は歌わない、そんな指導を受けた子どもたちは、「先生は、どんな歌声なんだろう?」と思ったことでしょう。リコーダーの指導が始まったのは、1960年代からでしょうが、教師が演奏することがないために、低いドという一番音の出しにくい音から吹かせるというとんでもない指導が行われていました。さすがに、今では、「ソ・ラ・シ」という一番音の出しやすい音から吹く曲が教科書に掲載されるように改善されました。
さらに、学期末ごとに通知表によって音楽を「評価される教科」にしてしまったことで、多くの子どもにとってクラシック音楽は「堅苦しくて退屈な教科」の一つとなりがちでした。鑑賞の評価は、まさに作文力の評価になっていました。
3. 大衆音楽の日本的展開(歌謡曲、J-POP、アニソンなど)
昭和期の歌謡曲から、1990年代のJ-POP、2000年代以降のアニメソング・ボカロ文化に至るまで、日本独自の「感情に訴える大衆音楽」が発展しました。これらの音楽は若者にとっては「日常」や「アイデンティティ」と直結しており、形式や歴史を重んじるクラシック音楽との差が鮮明になりました。
4. 音楽鑑賞の「敷居の高さ」
クラシックコンサートは服装・マナー・費用の面で敷居が高く、若者が気軽に足を運びづらいのも事実です。友人同士でライブハウスに行くようなカジュアルな音楽体験とは対照的で、「ひとりで静かに座って聴く音楽」という形式も、若者文化との間に乖離を生んでいます。
(4)近年の再接近と希望の兆し
1. アニメ・ゲーム音楽とクラシックの融合
たとえば「のだめカンタービレ」や「響け!ユーフォニアム」など、クラシック音楽や吹奏楽を題材にした作品が若年層の関心を集めました。また、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のオーケストラコンサートも、クラシック音楽を間接的に体験する機会になっています。
2. YouTubeやSNSでのクラシック演奏家の台頭
ピアニストの反田恭平や角野隼斗(かてぃん)や牛田智大など、SNS世代に支持されるクラシック系アーティストも登場しています。彼らは演奏だけでなく、トーク・ビジュアル・編集などで若者との距離を縮め、クラシックの新しい入り口を作っています。
結論:クラシック離れは「終わり」ではなく「転換期」
日本における若者のクラシック音楽離れは、単なる「人気の低下」ではなく、「文化的意義の再編成」と見るべきです。
若者にとってクラシックは、もはや「共通知識」ではなく「一部の人が深く愛する専門的な文化」として位置づけられつつありますが、逆に言えばそのぶん、自発的・選択的な熱量の高いファン層も生まれていると考えた方がよいでしょう。
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